おかしいよ!ギョーザ事件報道(前編)


最近は収まってきたが、一月下旬から始まった、いわゆる「毒入りギョーザ事件」報道は、まさに「祭り」であった。今回の「祭り」では、中国と中国産の食料が非難の雨あられになった。だが、非難と中国産製品の排除ばかりに目が行き、肝心な再発防止策や問題の本質がほとんど論じられていないことは、非常に残念である。今回は、この「祭り」を前編・後編二つの側面に分けて考えていこうと思う。


祭りの内容の一つ目は、餃子や冷凍食品のみならず、中国産の食物全体を排除しようとしたことであろう。確かに、中国産の食べ物はこれまで幾度となくその安全性に疑問を呈する事件ばかり起きていた。確かに、現に健康被害がでており、それが自分たちの身にふりかかるかもしれないとなると、人は保守的になるものだ。危ないものを排除するという行いはもっとも保守的なもののひとつだ。


だが、今回の問題はそんなに簡単なものではない。私たちが、普段の生活で中国産の食料をまったくもって口にしないことなどまず不可能であり、一時的に中国産の食料を排除したところで、その場しのぎでしかない。
なぜなら、これはご存知の人も多いと思うが、現在の日本の法律では、加工品に対して原材料の産地を義務付ける法律は無い。(梅干や干物といった、ほとんど原材料の姿形そのままのものを除く。)

中国産の野菜、米国産の肉、小麦、国産のニンニクを混ぜたギョーザが日本の工場で製造された場合、「国産」とされる。今回、回収されている製品の中にも天洋食品が加工した肉を使っていながら、「中国製」と表示されていないものもある。(読売ウィークリー2/17日号より)


また、食料自給率が低い日本において、外国の輸入に頼らずに生き延びるわけにはいかない。しかも、その食料の輸入相手としての中国は、アメリカに続く二位で、しかもアメリカに迫る勢いでその割合を増やしている。


<参考>http://www.jetro.go.jp/jpn/stats/trade/pdf/2005_import_2.pdf


だから、仮に中国からの食糧輸入をストップさせても、その減った分を他の国からの輸入を増やすことで代替することは不可能に等しい。


つまり、日本の食糧生産能力では、どうしても中国に頼らざるを得ないのである。肝心なその輸入に対する検疫の甘さが今回明るみになった。しかも、主権の問題もあり、おいそれと生産国工場を視察したり、従業員教育を行うわけにもいかない。だから、輸入品は生産段階から調べるわけにはいかず、輸入されてきた加工品自体を検査するしかない。それではどうしても対策が後手にまわってしまう。
残念なことに、自分、もしくは自分の大切な人が口にしているものが、どこの国の食料で、どこで生産され、どこの会社が安全検査をして・・・ということを何から何までキチンと知ることはできない。それが今の日本における食の現実である。

その現実を見据えた上で、さぁどうしようかと考えることが、本当に必要なことであろう。
生産者・生産工場の安全意識が問題?
チェック機関や法律のせい?
自給率の低下が問題?
メーカーがコスト削減に走りすぎてしまったから?
私たちが、食の安全を軽視しすぎていたから?
デフレ経済、低所得者層が増えているからどうしても安価なものに頼らざるを得ないから?

などなど、考えることは多数あると思う。
とにかく、中国産排除という「祭り」だけでは実質排除することもできなければ、何も前向きな進展が望めないのだ。
「祭り」が落ち着いた今だからこそ、きちんと考えるべきではないか。