アキバ通り魔事件により失われたもの

かなりご無沙汰なので、とてもタイムリーな話題を。
6/8にあった、秋葉原(以下アキバ)における、通り魔というより無差別殺人には、正直背筋がぞっとした。というのも、私はちょうどニンテンドーDSのアレを買おうと、アキバへ行こうと思っていたところであった。一歩間違えれば私が被害者になっていたかもしれない。恐ろしい話である。
6/9の時点では死者7人、重軽傷者が10人であった。TVでは相変わらず、「命が粗末に扱われつつあり、ゆゆしきことかな。」といった論調が目立っている。ところが、今回犯人の加藤という男が奪ったのは人の生命だけではないのだ。

自称オタクで、アキバにおいて演説を行った麻生太郎氏によれば、電車の中で居眠りをしても平気なほど、治安のよい国は日本ぐらいのものだという。アキバにおける治安の良さの象徴は、歩行者天国であろう。道路の真ん中でコスプレをして踊るという、ほかの地域で行えば、補導されてもおかしくない奇怪な行為が、アキバならむしろ歓迎されていた。といっても、最近は警察が取り締まり、かなりケチがついたようだ。しかし、この歩行者天国がアキバをここまで有名にしたという事実には変わりない。これは他地域に見られないアキバだけの風物詩であり、歩行者天国がアキバ「らしさ」を作っていたといっても過言ではない。

こういった事件があると「平和ボケ」などといって警備・警戒の甘さを事が起きてから指摘する声がある。しかし、こうした治安の良さからくる性善説的なあり方が、日本らしさ、アキバらしさを作っているのではないか。確かに、最近のアキバはキャッチセールスや路上喫煙が問題になっており、取締りが強化されている。だが、今回の凶行は、それにさらに拍車をかける材料になることは想像に難くない。街中に警察官が配置され、歩行者天国がなくなるか、大幅に縮小されるかもしれない。警察官に監視されながらPCのパーツや同人誌を買いたい人なんて、どこにもいないはずだ。

また、経済的な視点で考えても、今回の事件が与えた損失は決して少なくないと思う。今回の事件により、アキバに行くことをしばらく控える人もいるはずだ。また、事件に居合わせた人々は、事件現場に近づくと、一種のトラウマになってしまい、アキバに近づけなくなってしまう人もきっといるはずだ。そしてなにより、アキバは観光地として注目されている地域である。いわば、今回の事件は皆の足をアキバから遠のかせたのである。算盤で数字をはじけばかなりの損失額がはじき出せそうである。

加藤という男は、それは人命だけでなく、文化といえるほど昇華されたアキバらしさ、日本らしさを奪った。さらに、アキバで商売をする人たちの生活の糧まで奪ったのである。もちろん、糾弾されてしかるべきだ。ただ、ここで私が納得いかないことは、加藤が精神鑑定にかけられて、異常が認められたとする。すると、数年で社会に舞い戻ってくるかもしれないということだ。(今のところ薬物の使用や精神的な異常は見られないようで、一安心。)もっとも、加藤は「人生に疲れた」「世の中が嫌になった」と供述しているという。それなら、世の中からその生を抹消されてしかるべきである。法治国家として、日本のあり方に期待したい。


参考

とてつもない日本 (新潮新書)

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