Windows VistaのUACを考える


さて、後編である。
急に前編・後編わけしてすんません。


で、UACがどのような問題を引き起こすかというと、筆者が考えているだけで4つほどある。


1.ユーザーがUACに嫌気がさして、UACをきってしまう。





だが、UACを切ってもすべての権限が与えられるわけではない。
かえってシステム奥深くの操作ができないこともある。



このように設定不可になってしまうこともある。


2.プログラムの互換性問題


Vista導入(後編)でも若干触れたが
Vistaはソフトの対応状況が悪い。その原因の最大たるものは間違いなくUACであろう。


なぜなら、UACに対応していないソフトウェアの場合
システム領域にアクセスしようとしたときにUACが発動せず、権限が得られないから
だ。
だから、OS側に拒否されて警告メッセージが出て、そのまま強制終了してしまったり、ひどい場合は起動すらできない。


ROの場合はOSへの影響度が低いため前述の方法回避できたが、バックアップやシステム高速化といった
システムに大きく関わるソフトウェアの場合、Vista非対応の場合は、まず使えないと思ってよい。
ただ、UACをきれば使える可能性も残されてはいる。



これは、Nero6を起動させたときに現れた画面である。
どうやらUACを発動させないとCDやDVDへの書き込みすら権限がないようだ。
警告画面どおり、追加ソフトウェアを導入したところ、正常に動作した。
こういうケースもある。


3.警告表示の形骸化


これははてなダイアリーキーワードでも触れられているが、
警告画面が出ても、その意味も考えたり理解しようともせずに「はい」や「OK」を選択してしまい
警告画面が実質上意味のないものになってしまうという問題点である。
実質上の有名無実化であり形骸化にほかならない。


もちろん、今までのソフトウェアにおける使用許諾書に同意することの意味や
ドライバをインストールするときの警告画面にも同じことがいえる。


また、仕事において、役職者が部下の書類にハンコを押すことなども同じことがいえるだろう。
「はい」や「OK」を押すこと、ハンコを押すことは、何かあったとき責任を負うということである。


4.初心者が必要以上に恐れてしまう


PC初心者にとって、PCをさわること自体が面白くなるときは
いろいろ自分でPCをカスタマイズし始めたときではないかと思う。


ラジコンは自分の好きなように改造するのが楽しいものである。
また、携帯を機種変更したときは「あの人から電話着たときはあのお気に入り着信音」
なんてカスタマイズすると時を忘れる。
きっと、カスタマイズすることによって「自分専用のもの」という認識が生まれるから、楽しくなるのだと思う。


PCでカスタマイズを行うということは、コントロール・パネルをいじることであり
それだけOSに変更点を加えることである。当然UACもガンガン発動する。
すると、ユーザーも警告画面の雨あられになるのである。


確かに、ウィルス対策ソフト無しでネットにつないだり
相手サイトの信頼性も考えずに個人情報をネットで入力する
といったことは致命的な問題を引き起こしかねない。
しかし、オンラインで起こる問題に比べればオフラインで行うコンパネの作業が
そこまで致命的な問題を引き起こすとは思えないし
致命的な問題を引き起こす場所(レジストリエディタなど)を初心者ユーザーは知らないだろう。


読者のみなさんも、はじめてなにか始まるときに「あれはだめ、これはだめ」とべからず集ばかりを
長時間聞かされていてはきっといやになることであろう。


筆者の父親は、「日本人は英文法やLとRの発音の違いなどにこだわりすぎるから英語がはなせないのだ」
という。おなじように今のPCは壊れにくくもなっているし、周りにPCに詳しい人も多い。
だから、筆者はPCに詳しくなるには、とにかくリスクを恐れすぎないで触ってみることが大事だと思う。


だが、UACはそのありかたに対して足かせになっている気がしてならないのである。





おそらく、マイクロソフトは上記のような問題があることを知りつつも、
UACといううるさい親、うるさい上司を導入したのである。
もちろん、それが正しい判断だったかどうかはこれから明らかになっていくであろう。


余談だが、UACを破るウィルスやマルウェアも既に出始めているようだ。


最後に、UACをオフにするやり方を。


スタートからコントロール・パネルを開き、ユーザーアカウントへ。
そして、一番下の「ユーザーアカウント制御の有効化および無効化」を選択する。




そして出てきた画面で、一番下のチェックをはずすことによりUACを無効化できる。
UACを無効にするかしないかは読者の判断しだいである。
そして、その判断にこの記事が役立てたのなら、うれしいと思う。