三国志における誤解


本日は、goldwellさんのリクエスト(の一部)にお答えして


国史のベストオブ勘違いをお送りします。


その勘違いとは・・・
三国志はひとつだと思っているというものです。


三国志とは

陳寿(233-397)ちょうど三国志時代に生きていた歴史家が記した正史三国志
陳寿の書いたものを元に、明の時代に羅貫中施耐庵説もあるらしいです。今回調べてはじめて知りました)が書いた小説物語三国志演義の二つがあります。



前者は歴史をそのまま書き記したものであり、後者は前者のをもとに面白おかしく書いたものです。


私の学部は東洋史を勉強するところでしたので、実は三国志好きで入ってくる人がかなり多いのです。しかし!それはじつは三国志演義だったというケースが後を絶ちません。「三国志演義は物語なので、歴史学部での研究対象にならない」という事実を聞いて閉口してしまう学生もいるらしいです。(と、いっても入学後三国志以外の地域や事柄に興味がいき、卒論で三国志を扱う学生はまれのようです。)


では、内容としての違いはどこにあるのでしょうか。
一番大きな違いは、人物の武勇が演義においては強調されすぎているということです。
三国志トークをすると、必ずお題にあがることといえば、「好きな武将は何か?」
ということでしょう。「あの武将はこんな逸話があり、勇ましい戦いをして・・・」と語りだすと
止まらない人も多いのではないでしょうか?しかし、その内容はほとんど演義に書き換えられるときに強調されたものです。「何百人もなぎたおした、たった一人で大群と戦った」といったお話は身も蓋もないことを言ってしまえば大概はうそっぱちです。今から二千年近く前の人が何百・何千人を殺せるほどの武器・防具があったとも、そのための食料が充実していたとも思えません。普通に考えればわかることです。


また、赤壁の戦い官渡の戦いといった代表的な戦いの舞台は正史にもあるのですが、その兵力は演義だと水増しされていることが多いので要注意ですよ。


これも判りやすい違いですが、貂蝉(ちょうせん)は正史には登場しません。董卓(とうたく)と呂布の中を裂いて、話を面白くするために、演義においてのみ登場したという説が有力です。(ただし、正史に存在しないからといって、実在しないという確証は持てません。)


最後に、正史三国志は魏側の立場から記述されていることを付け加えておきます。なぜなら、著者の陳寿は、魏から生まれた晋という国の役人だったからです。対して演義は蜀こそが漢の血筋を継ぐ正当な王朝であるという観点によって書かれています。

日本で三国志の漫画といえば、横山光輝三国志が一番有名でしょう。私も全巻持っています。(項羽と劉邦もね!)
これは、演義を元にした典型的なものといえるでしょう。




それと双璧をなすものが、王 欣太(きんぐごんた)の蒼天航路です。
これは陳寿の正史に近い立場で書かれました。(ただし、貂蝉は登場します。)


もちろん横山三国志は蜀中心の話であり、蒼天航路は魏中心の話です。


蒼天航路は、元徳劉備)をとても人徳に富む人間に書かれている横山三国志に対してのアンチテーゼのような気がします。

また、Wikiを参照すると・・・


三国志』の物語は基本的にこの『三国志演義』を元としているものが多い。吉川英治が執筆した小説『三国志』、これを元にして作られた横山光輝の漫画『三国志』やコーエーが発売した三國志・真・三國無双三國志英傑伝・三國志孔明伝・三國志曹操伝などと言ったゲームが挙げられる。


と、あります。これらを見たり、読んだりしたこと全てが実際に中国で起こったことなんだと思い込んでいる人、要注意ですよ!


ここで歴史的な見解をひとつ。
確かに演義はつくり話です。ただ、正史三国志も、陳寿の立場を考えると、魏中心の書かれ方をしていることが歴史を如実に現しているかといえば、首を傾げたくなります。歴史など、それを記す人間の立場や思想によって見方も変わってくれば、目をつぶりたくなるような事実は記述しないかもしれません。このような、記した本人の主観が入る史料を二次史料といい、史料的価値はそれほど高くはありません。だから「作り話だから演義はダメだ!」というのではなく、これもひとつの三国志の捉え方なのだと考えるほうが得策でしょう。個人的には呉中心の話も見てみたい気がしますが。


参考:Wikipedia 項目:三国志貂蝉三国志演義蒼天航路