人間は機械になりたいのか?

更新絶賛延滞中Orz

今日はこんなお話。ちょっと説教くさいです。
月末と月初はお堅いエッセーでいくことに勝手に決めましたw


「頭がいい」とか「賢い」というのはいったいどのようなことなのでしょう。
日常でよく使われる言葉なのに、これほど定義が曖昧で、いったい何のことだか話しあわれてこなかった言葉は他にないかもしれません。


私が、友人と話しているときに感じることは、頭がいいというのは単純に知識量で優劣がついているような気がします。たぶんそれがそのまま一般論に当てはまるでしょう。私たちの周りでQMAをやる人が多いのもありますし、トリビアの泉みたいな番組がはやるのも原因かもしれません。大学まで出ている人間が「頭がいいとは、雑学的知識が多いこと」と豪語していたのを聞いたときにはさすがに閉口しまいた。高校を卒業して、早いうちから社会人という道を選んだ人間ならまだわかるのですが。


人間は機械になりたいのでしょうか。
 
 
しかし、当たり前ですが、多くの情報を正確に管理するという点に関しては、機械に勝てるわけがありません。計算能力ではもっと顕著な差は出るでしょう。


人間の頭脳が、コンピュータに勝てるところはどこでしょうか。人間にしかできない知的活動とは、どのようなものでしょうか。人間にしかできない知的活動とは、情報の量ではなく、その生かし方だと思います。一つ一つの情報を組み合わせて新しいものを作ることや、双方の矛盾点に気がつき、指摘する能力も大切です。また、雑学とは単なる表層上の情報にすぎません。その情報の精度を上げていくのも人間の仕事ですし、人にわかりやすく伝えるのも賢い人間の仕事です。本当に理解している人間なら、多くの人がわかりやすい言葉で伝えることができるはずです。
 
 
ねこまんま学園のエッセーは、難しい知識を前提にして書いているつもりはありませんし、知識を振りかざして書いているつもりもありません。ごく一般の人が読みやすいものをコンセプトに書いている(つもり)です。(ゲームの話は仕方ないねw)
 
 
一言で言えば、人間がコンピュータより一番優れているところ、それは思考力です。情報の生かし方、伝え方はすべて思考力が鍵を握っているのです。大学時代、「大学は思考鍛錬の場」といつもおっしゃっている教授がいらっしゃいましたが、いまではそれがよくわかります。また、情報関連の授業では「コンピュータは大量の知識を管理しておくのは得意だ。だが、知識を生み出せるのは人間しかいない。」とおっしゃっていたのも思い出します。知識を生み出すためのエンジンが思考力なのだと思います。そういった知的活動を高めていった人間は、いずれ社会の諸問題に対して高い解決能力を持つのです。 

 
話が堅くなるので、音楽の話を。
先日、友人とファミレスに行ったときの話です。友人はファミレスに行く前までは、ドラムのレッスンを受けていたようです。しかも初レッスンだったようで、いろいろ話をしてくれたとのことです。なんでも、その先生はデジタル音楽完全否定で、レコードとカセットテープに生きる人だということです。CDはともかく、ipodなど論外だそうです。なんでも、その先生が言うには「ドラムは、難しいテクニックができればいい、アップテンポな曲ができればいいと考えがちだが、難しいリズムを正確に刻むことに関しては、機械に勝てるわけがない。人間にしか伝えられないものを探すのだ。」とおっしゃっていたそうです。


そこで私は友人に「音楽で人間にしか伝えられないものってなに?」と質問しました。その答えは、音楽には動きがあって、録音した音楽を聴いても、その動きが見えてくるような音楽をしたいといっていました。確か、音楽を演奏するロボットなんてものがあったと思いますが、その挙動は人間に近くなかったり、性能が低いので、電子音楽とはミキサーなどを使った打ち込みです。だから、動き豊かに演奏できるのは人間にしかできないことでしょう。


私は、人間にしかできないこと、それは感情をこめることだと思います。私は中学生くらいまでピアノをやっていたので、ピアノが主旋律となる曲を好みます。このピアノという楽器は、正式にはピアノフォルテという楽器であり、大きい音も小さい音も出せます。電子ピアノでも大分鍵盤の押す強さによって音色が変わるようになってきましたが、それでも実際のピアノにはかなうはずもありません。だから、鍵盤を押す強さによってとても微妙な音の違いが出せるのです。だから、鍵盤を押す強さは毎回微妙に違うから、全く同じ曲には実はならないということになります。いやむしろ、演奏する人のバイオリズムや感情がのってしまうといったほうが正しいです。たとえば、華麗なる大円舞曲(ショパン)といった楽しいイメージがする曲を聞いているときでも、「この人、今ノリ気じゃないのでは?」と感じるときもあれば「この人は本当に楽しんで演奏している。毎日が充実しているのかな?いいことあったのかな?」と感じたりするのです。これは、感情を持つ人間にしかできないことでしょう。


ところで、なぜ知識量がある人間、ただ単にテクニックだけができる楽器奏者がもてはやされるようになったのでしょう。それは、効果が目に見えやすく、数値にしやすいからだと思います。学力でいえば偏差値と出身大学というようにです。そういえば、「AERA」や「読売ウィークリー」でも「就職に強い大学ランキング」という特集はやっていても、「特色のある授業をやる大学ランキング」「思考力をつける大学ランキング」「生徒の満足度が高い大学ランキング」というのはなかなかやっていないようです。 

 
そんなことを述べていると、「星の王子さま」での名文が思い浮かびます「大人たちは数字でしか物事を判断しない」という一文と「大切なものは、目に見えないものなんだよ」という一文です。


ところで、世の中個性がまだまだもてはやされる傾向にあります。しかし、人間にしかできないことがわかってこそ、あなたにしかできないことが見えてくるのです。さもなければ、他の人どころか、機械にとって変わられかねないのです。 

 
ちなみに、私は歴史学科、しかも歴史認識問題でもめている中国・韓国の歴史を中心に勉強した者です。そこで学んだことを生かして、いかに彼らと歴史をうまく共有するか、いかに歴史離れと向き合うか、いかに自己中心的な歴史観から脱却するかを考えていきたいと思います。それが、私にできる社会の諸問題に対する取り組みだと思っています。
 
 
あなたにとって人間にしかできないこととは何ですか?よく考えてみてください。


参考文献


星の王子さま (新潮文庫)

星の王子さま (新潮文庫)

 
 
うわーとっても固い話でした。でもこれが堅い話になってしまってる現実こそ問題な気もします。
それにしても文字ばっかりだ。うげぇ。


加筆しましたので、こちらの記事もあわせてご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/Nekomanma/20060824