いじめに物申す!(後編)「いじめに立ち向かえ!」という詭弁
放置プレイすいませんっ!
ほら、やっぱり上級者は放置プレイってものもマスターしないと(何?
とりあえず前編とうたってたんで後編を書きます。
まずは新聞記事からどうぞ。
安倍首相直属の教育再生会議(野依良治座長)は29日、首相官邸で総会を開き、いじめ問題で8項目の緊急提言をまとめて発表した。いじめは「反社会的な行為」で「見て見ぬふりをする者も加害者」とする一方、いじめを理由とする転校が認められていることを周知するなどとしている。
(中略)
提言では、いじめた側の子供に対して「指導、懲戒の基準を明確にし、毅然(きぜん)とした対応をとる」とし、社会奉仕や個別指導、別教室での教育などを例示。当初は「出席停止」処分の積極的な適用を盛り込むことも検討されたが、委員から「教育には愛情が必要だ」といった慎重意見が出たことや、1948年に「懲戒の手段として授業を受けさせないという処置は許されない」との当時の法務庁長官の見解があることなどから、見送られた。
(中略)
また、いじめを放置・助長した教員には「懲戒処分を適用する」と明記。このほか、学校でいじめ解決のチームを作り、教育委員会も支援チームを結成して学校を支援▽いじめがあった場合、学校は学校評議員や保護者らに報告し、家庭や地域と一体となって解決に取り組む。
asahi.com 2006年11月29日
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200611290245.html
前回は、いじめはいじめる側が悪いという、当たり前のことを述べたまでですが、どうやら世論がまともな方向に向かってほっとしています。いじめた側に厳しい懲罰をあたえるかどうかはともあれ、こういった方向に話が進むことに価値があると思います。
今回は「いじめに立ち向かえ」という言い分に対して考えます。
確かに、人生立ち向かわなければいけない側面もありますし、いじめは場所を変え、人を変えずっとついてまわる問題だと思います。だがしかし、いじめに立ち向かったところで相手がいじめをやめる保証などどこにもありません。むしろいじめがエスカレートするケースが多いのではないでしょうか。
( `Д´).。oO<メガブチキレス>(いじめられている人は心も体もズタボロで、今日一日生きるか死ぬかの瀬戸際で生きているんだ。それを、TVでコメントを述べられるほど社会的に成功した人達が、上からモノ言う様に「いじめに立ち向かえ」といっても逆効果じゃないのか?それは鬱病の人間に「もっとがんばれ」というようなものと同義でしょう。そんな言い方するからいじめられた人は相談できないんだよ。)
例えば、あのボクサー亀田興毅選手のブログでは
言は出来へんけど、たぶん世の中からいじめはなくなれへんよ。
俺らもそうやけど社会に出てもいじめはあるんやから。
(中略)
自殺したら何もかも終わりやで!生きたくても生きられへん人もおるんやから。
それを自分で自殺なんかしたら絶対にあかん!
大事な命やねんから大切にしよ。
いじめには勇気を持って向かっていかなあかん。
ボクシングでも何でも一緒や。気持ちで負けたら絶対アカンで。
( `Д´).。oO<メガブチキレス>(命を無駄にするな。死んだら終わりだろう。という部分にはまったくもって賛成するけど、いじめに立ち向かえというのはどうしても賛成できないなぁ。みんながみんな、亀田君のように精神的にも肉体的にも強くないんだよ。そのことを判ってほしいな。そうしたつわものの論理だけで物事を言うのはおかしいと思うな。むしろ、いじめられている人間で、いじめに立ち向かう勇気がなければ「逃げろ!」と私は言いたいね。学校なら休んでも言いし、転校してもいいし、いじめる子が転校するまで休んでもいい。長い人生、少しくらい出遅れても平気だよ。世論に押されるように無理やりいじめに立ち向かって、やっぱりダメでしたと死んでしまったら、それこそ何もかも終わりじゃないか。)
では、いじめられている人に対してなん言えばいいかというと、それは「あなたよく今まで耐えました!がんばりました!あなたは決して悪くは無い」ということを言うべきなのです。いじめだけでなく、DVやストーカーを扱う相談ダイヤルでもそうやってまず相手を認める言葉をかけるようです。相談した人は、そういったやさしい言葉に受話器で泣き崩れる人もいるようです。
( `Д´).。oO<テラブチキレス>(「いじめに立ち向かえ!」などと上からモノを言う人間はごまんといる。だけど、いじめられた人の立場に立って、心を打ち明けて話せる人が少ないことが、なによりも悲しいことだね。)