いじめに物申す!(前編)いじめる人間は糾弾されないのか


こんにちは
なんかですね、友人某k君がこのブログのことを「ねこ学」と略していたので
略は「ねこ学」でいいかな?と思っている今日この頃です。


あと、アクセス解析したところ、ROつながりからのアクセスがかなり多いことに気づかされます。
よって、フレーム部分にROの主なキャラLvを書いてあります。
公平組むときの参考なんかにどうぞ。
呼び出しはWisかメッセで。(プロフィールにキャラ名書いてあります)


さて、今回・次回と二回にわたって最近マスコミをにぎわせている、いじめ問題について語ります。
モノモースもいっぱい出ますよ!


最近、いじめが社会問題化しています。報道でも連日のようにとりあげられています。しかし、私が気になることは・・・


( `Д´)<メガブチキレス>.。oO(苛められている人に「相談しろ」「いじめに立ち向かえ」「命を粗末にするな」とはよくいわれるのになぜ苛める側をもっと糾弾しないんだ!)
っていうことです。ほらこんなショッキングな記事が・・・。


いじめがあった時「いじめる方が悪い」と考える子どもが中学、高校で半数にも満たないことが、民間団体の調査で分かった。また、いじめを受けた際に相談できる相手を聞くと「教師」はわずか19%で、「いない」と答えた子どもは2割を超えた。文部科学省の統計報告がいじめ自殺をゼロとしてきた裏で、標的の子が罪の意識の希薄な子どもに追いつめられた上、周囲の大人が十分対処できていない様子が浮かび上がった。


、「いじめる方が悪いと思うか」と聞かれ、「はい」と答えた小学生は6割を超えた。しかし、中学、高校生は4割台だった。「いじめられても仕方のない子はいるか」の問いに「いいえ」と答えたのは、小学生ではかろうじて半数を超えたが、中学生では4割を切った。


一方、「いじめはなくせるか」との問いに「はい」と答えた比率は、学年が上になるほど少なくなる。「いじめを相談できる相手」は、「友だち」(56%)が多く、親は39%にとどまった

また、「周囲でいじめやそれに類する行為が今までにあった」と考える児童生徒は全体の82%に達し、いじめがまん延している実態がうかがえる。

ごく少数だが、こんな感想もある。「いじめが悪いとは思いません。人が(いじめを)やるのもその人の個性だ」(公立小6年男子)



引用:毎日新聞 2006/11/7
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20061107ddm041040166000c.html


( `Д´)<メガブチキレス>.。oO(なんで罪の意識がこんなにも希薄なんだ。「いじめ問題は、いじめられる側にも原因がある」などと平気で言う人間を、私は許さないよ!公共の電波でいう事はなおさらだ。)




人はなぜいじめをするのかと考えてみると・・・
A・実力も無いのに調子に乗っている、礼儀や社会性に乏しい
B・容姿・家柄・学歴やテストの点数などによるいじめ・差別(大人になるとこれが多いかも)


確かに「いじめられる側にも問題がある」という言い分には、Aには若干当てはまるかもしれません。そういった人間は一度ガツンとやられてもいいかもしれません。ただし、それは数度も、しかも何人もでやる必要はありません。そして、それは「いじめ」ではなく「けんか」でしょう。


ところで、いじめについて、爆笑問題大田光さんは、「人をいじめるってことは、なにか自分に共通点があるんだ。自分と照らし合わせる点があるからいじめるのだ」とスタメンで言っていたことを思い出しました。私もそのとおりだと思います。この人はコメディアンなのに深いことを相変わらず言う人だなぁと思います。


もう少し掘り下げる、共通点があるといこと→自分にも当てはまる面がある→すなわち負い目がある
ということになります。それがBのいじめなのです。


例えば、容姿やしぐさで考えてみましょう

Bのいじめについては、容姿やしぐさといったものは、だれしもが周囲から認められたいと思うものです。だから、そうしたものに対して、自分より低いものを見つけて自分が勝っていることを証明したい、自分の価値観が優れていることを証明したいからいじめるのです。逆に言えば、自分が優れていないと思いたくない、自分が低いものとされて、逆にいじめられたらどうしようという恐怖感もあるとおもいます。最もいえることは・・・


( `Д´)<テラブチキレス>.。oO(人は自分より優れた人間に対してはいじめないよ。大抵はすぐれていない者に対していじめるんでしょう。そしてそれは、自分より優れたものに人間に対する劣等感の裏返しじゃないのか!また、容姿や家柄など、自分ではどうしようもない先天的なものに対して行ういじめは卑劣だ!)


この理論を使えばいろいろないじめがいとも簡単に説明できます。そういえばブルーハーツもこんなこと歌ってましたね!ゴーマニズム宣言でも書かれていたような気が


例えば、学歴ヒエラルキーの頂点に立つのは東大こと東京大学です。
さすがに東大には勝てない早稲田・慶応は明治・法政などいわゆるMARCHといわれる大学をいじめる
→MARCHの人は成城・明学や日東駒専といわれる大学の人たちをいじめる
→そして日東駒専の人間はもっと下の亜細亜・帝京といった大学の人をいじめる
→偏差値がかなり下な大学に通う人は高卒をいじめる。


といった劣等感の垂れ流しが平気で行われているのです。
もうひとつ例をあげましょう。ドラえもんのキャラを入れると判りやすいかもしれません。


ジャイアンスネ夫をいじめる(のび太もいじめるけど。)
スネ夫のび太をいじめる
のび太はそんなことしませんが、だれもいじめる対象がいない人は飼育小屋のウサギを殺したりするのです。


( `Д´)<テラブチキレス>.。oO(いじめる人間は、裏を返せば「自分は中途半端です」といっているようなものでしょう。本当に優れている人間はいじめなんてしないよ!だから、真に矯正されるべき人間は、やはりいじめる人間なのだよ!「いじめる人間なんてクズだよサイテーだよ」ともっと声を大にして言うべきだよ!それがいじめられている人間の勇気につながるんだ。)


いじめ問題というものは、ヒエラルキー化した社会における、劣等感の垂れ流しという構図があるのです。学歴や家柄以外にも、部落・年収・最近はオタク度など、この社会はヒエラルキーのカタマリなのです。


( `Д´)<メガブチキレス>.。oO(確かに、こうしたヒエラルキーは無くならないし、それに比例していじめはなくならないよ。「今まで生きてきた中で、人をいじめたり、見下したことが無い」なんて人間は「今まで生きてきた中で、うそをついたことがない」といっているようなもので、だれでも経験があるものだと思う。でも、劣等感の垂れ流しによるいじめを「カッコ悪い」ということもできるのが人間じゃないのかな。最近品格だとかモラルの重要性がいわれて久しいけど、それってこういうことじゃないかと思う。教育でももっとこんなことを教えるべきだと思うんだけどね。


次回は、「いじめに立ち向かえ」という詭弁にたいして一刀両断しますよ。