20冊書評Vol5樋口裕一著「ホンモノの思考力」


<内容>
相手を納得させ、知的だと思わせるような論理的な思考をするためにはどのようにしたらよいのか。その答えは「型」にハマるということである。


というのも、筆者はフランスで生活生活をしていて、フランス人は論理的だと感じた。その理由は、彼らは「私がこのように考えるには3つの理由がある。第一は・・・」「○○の面では賛成だが、××の面では反対だ」といった論理的な言い回しをクセのように使ってくるからだという。


フランス人は「理由は3つある」といっても実は二つしかない、四つ以上あることだってある。でも、それは問題ではない。大事なことはいかに「型」にはまり、背伸びであっても相手に知的で論理的であるということをアピールするかだ。


それに引き換え、昨今、「個性」を尊重するゆとり教育がもてはやされている。そのせいか、たとえば絵でいうならッサンや遠近法を教えないで「好きに書きなさい」といわれ、どのように書けばよいかは教えない。そして、その絵にいい、わるいも言わない。順位もつけない。このような教育だから、逆にホンモノの思考力が育たないのではないかと筆者は危惧している。


だから、筆者は論理の基本的な「型」である二項対立や譲歩といった基本を押さえ、それを受け売りだろうと聞きかじりだろうとかまわないのでとにかく使ってみることが大事だと主張する。


そして、「型」が板についたとき、あなたはあなた自身の考えで物事を捉え、コミュニケーションすることができるだろう。それがタイトルにある「ホンモノの思考力」に他ならない。




筆者の言わんとする、「ホンモノの思考力を身につけたければ『型』にはまるべき」という考えはとても賛成できる。なぜなら、個性的なこと、すなわち「型破り」な能力を身につけたければ、「型」にはまるのがもっとも近道だと考えるからだ。


例えば、あなたが世の中にモノを出すクリエイター・ディレクターだったとしよう。そのなかで、あなたが能力を発揮して、言葉で説明できない、絵にもできないような何かスゴいモノを生み出したとしよう。果たしてそれが受け入れられるだろうか。答えは否であろう。なぜなら、人間は見たことの無いもの、聞いたことの無いものを本能的に恐れるからだ。


では、どのようなものが受け入れられるのか、それは「ありそうでなかった」モノである。それを生むためには今までにどのようなモノがあるのか見てみる、真似てみる。すなわち、「型」にハマるわけだ。そのうち、次にその中で使い勝手が悪い部分や、「こういったことができれば便利なのに」という部分が見えてくる。そこから生まれたものが本当に世の中に受け入れられるモノではないだろうか。


だから、「常識破り」になりたければ、「型破り」になりたければ、はじめから「常識」や「型」にそっぽを向くべきではない。むしろ、それらにどっぷりつかり、不自由を味わうことが大事だと、私も考えるのだ。


そして、私が言うのもおこがましいが、論理的な思考ができるひとは、できないひとより頭が良い訳でも、才能があるだけでもなく、「型」キチンと身についているからと思う。(違うケースもあるが。)だから、「型」さえできれば誰でも論理的な思考ができるとは思う。


本書に欲を言えば、なぜ「型」にはまるか、その意義を問いただせばもっと多くの人に歓迎されたのではないかと思う。若干、教育という観点にこだわっている気がしてならない。


本書は、なにも奇をてらったことは書いていない。あたりまえのことをあたりまえに書いてあるだけだ。だが、それでも私の、脳そしてに心に響いてくる。それは、私が「型」にハマらない、根拠の無い「個性」や「才能」といった見方にとらわれているからに他ならないからであろう。


そんなことに気づかせてくれた良書である。読みやすく、主張もわかりやすい。是非手にとってみることをお勧めする。


以下コメント返し


>えろす
きんもーーーーーーー
きもい人とは会いたくないよ。襲われるから><
まぁ東京と埼玉だし、会えるでしょ。


>ぐるん
実はその記事書いているとき、名古屋にいたよ。
えびふりゃー食べたけど、ちっこw
あれじゃお弁当サイズだ。