福知山線事故から、私たちは何を学ぶか(前編)

おはようございまする。
今日は、突発的二日連続企画です(ぁ
お題は、ちょうど一年経った、あの恐怖の事故がお題です。
強烈なマスコミ批判など、毒な内容も多く含みます。そちらをご理解の上、お読みください。


 福知山線事故の時における、ニュースや特集番組でのコメンテーターやキャスターの一言は「安全を軽視した結果」「営利第一主義体質があきらかに」といった、安全という言葉が多く言われたと記憶しております。正直、そんなことを公共の電波で今更言わないで欲しいものです。なぜなら、
 
 安全が第一なんて当たり前です。そんなこと誰だって解っています。 

 
 だがしかし、それをいつのまにか忘れてしまうのが人間というものなのです。JR西日本の会社も、社員も入社、設立当初は安全にお客様を送り届けたいという気持ちで一杯だったと思います。ですが、日々の業務を繰り返しているうちにそういった意識は薄れていくものだと思います。。「初心忘れるべからず」「初志貫徹」ということはなかなか出来るものではありません。それは、世の中に浮気や不倫が数多くあることからしても解るはずです。人間、初志を貫徹出来るほど優秀な生き物ではないと思います。
よって、「安全第一」というを「初志」を忘れてしまうのが人間という生き物の本質であり、その「初志」を忘れた頃にどうやって思い出させるか、忘れないようにどのように工夫するかを話し合われるべきではないでしょうか。 
 
 「安全第一」ということを忘れていたのはJR西日本やその職員だけではありません。私たちも同様なのです。私たちもいつの間にか「安全<時間」という考えになってはいないでしょうか。より厳しく言えば、お金で時間を買って、どこかで安全を軽視してはいなかったでしょうか。その典型的な証拠が駆け込み乗車であり、車両や線路の点検で電車が遅れると、駅員に不満をこぼしたり酷く当たったりすることなのです。駆け込み乗車は危険で、列車の進行や事故を招く事はだれだって知っているはずです。しかし、例えば駆け込み乗車に関しては、時間が惜しい、実際に発車する列車を見るとどうしてもやりたくなってしまうのが人間でしょう。私だってします。 


 よって、JR西日本の職員だけでなく、私たちも駆け込み乗車等で、時間を「安全」を軽視する傾向があったと言えるのではないでしょうか。それを今更、「安全が大切だ」などと言ってのけることはナンセンスだと考えます。私には、事故が起こってから言ったのでは後出しの正義面・きれい事のような気がしてなりません。

後編に続きます。