福知山線事故から、私たちは何を学ぶか(後編)

続けます。


 福知山線事故で見られた、マスコミの報道はとにかくJR西日本を叩くもの、犠牲者家族にインタビューしたもの、さらに週刊誌では慰謝料がいくらとかいったものもありました。大抵はJR西日本叩きのもので、それこそ四六時中流れていたと思います。確かに、犠牲者の方々はJR西日本は忘れられない存在ですし、その責任の追及、改善状況はこれからも厳しく行っていくことでしょう。また、事故が起こったのにボウリング大会を続けていたとは憤り覚えるところでしょう。ですが


(当事者でない人間も)JR西日本を叩けば、それで終わりでしょうか、全てが解決するのでしょうか。


 JR西日本叩きをすることより、ここで私たちが考えなければいけないことがあります。それは、いつの間にか時間をお金で買っているような行動をしていた私たちが、JR西日本を安全軽視、営利重視の企業にしていなかったかどうかということではないでしょうか。おそらく、JR西日本が変わっても、私たちが時間でお金を買っている側面を改めなければ、第二・第三のJR西日本が生まれることでしょう。もしくは、駆け込み乗車でダイヤが遅れて、速度を上げてしまい、カーブが曲がりきれなくなり、またこのような事故が起こるかもしれません。その場合、全ての責任を鉄道会社に押しつけていいものなのでしょうか。


 遺族の方々はきっと同じ事故が二度と起こらないようにして欲しいと思っている事でしょう。ですが、そのためには鉄道会社だけでなく、私たちも変わる必要があるのではないでしょうか。鉄道会社を叩いているだけでは、遺族の方々の望みは果たせそうにありません。


 では、私たちはいかに有るべきか考えますと、まずは駆け込み乗車のような利己的な行動を控える事でしょう。ちなみに、私はあの事件の後、家を早くでる習慣ができ、駆け込み乗車はしなくなりました。
また、社会全体が、もっと交通機関の遅れに寛容になるべきだと思います。おそらく世界一時間に正確だと思われる日本の鉄道ですが、それでも時間に遅れることはごく自然なことです。だから、「もっと早くの電車に乗るべきだ」などといわないで、電車遅延は遅刻の正当な理由だということをもっと認識するべきでしょう。なぜなら、どんなに早い時間帯の電車に乗ろうとも、遅刻してしまうほどの大きな遅延が起こらないという保証はどこにもないのですから。


 運命のいたずらでしょうか。先日JR山手線で大規模な点検があり、山手線が長時間とまりました。私も迷惑を被った一人ではありますが、「JR東日本は正しい事をしてくれているんだ、私たちの事を考えて行っているのだと」思えるくらいの心の余裕は欲しいところです。


 私たちは、叩くべき対象を見つけたら徹底的に叩くのではなく、その問題や事故を通して何を学ぶのか、もっと考えるべきだと思います。マスコミにもそうした方向に誘導するような報道を心がけてもらいたいものです。