そうだ!ゲーセンに行こう!


今日の夕食はとても豪華でした。

ただそれだけですw
今日は個人的に面白いコラムなんじゃないかなーと思います。
美味しいもの食べたしw(←意味不明)


私は、小学生高学年の頃から、ゲーセンことゲームセンターに行っていたと記憶しております。だからこそ言えるこんなお話です。


 世の中見ると、ゲームやゲームが犯罪を助長するとか、ひきこもりを生むとか言われていることは、言うまでも無いと思います。ですが、私はゲーセンはそれに当てはまらないと思います。そういえば、ゲーセンにで殺人事件が起きた、ゲーセンに通っている人が罪を犯したという話はあまり聞きません。
 
 なぜならば
ゲーセンは社会経験の場であるからです


 まず、ゲーセンにおける社会経験のひとつは、うまい人のプレイを見ることです。うまい人のプレイを見ることで得られる経験は、自分の無力さ、視野の狭さを知ることです。うまい人は必ずどこかで努力していたり、工夫していたりするものです、自分より上の人間がいるということを知るのはいい経験でしょう。また、自分よりうまい人を畏怖すること、羨望のまなざしで見ることも、人間として知っておかなければいけないものだと思います。そして、何よりも大切なことは、うまい人のプレイを真似する、盗むことだと思います。「学ぶ」ということは「真似ぶ」からきているといわれます。これは仕事や勉学でも同じことがいえるでしょう。
 
 
 ただ、最近のゲーセンはネット対応のものが多いため、うまい人のプレイを見る機会が多くなりました。しかし、多くなった分、リアリティをもった目の前にうまい人間がいるというありがたみを感じづらくなったと思います。ネットでつながった先の人間がうまくても、なかなか上記のような感情は抱きにくいと思います。少し残念です。
 
 次に、私のやっていたゲーセンにおける格闘ゲームについて述べます。まず格闘ゲームというものはやり手の実力がすべてなので、基本的に負けるというのは実力不足なのです。負けたときにそのことを認めることもいい経験です。もしくは、接戦の時に致命的なミスをしたり、相手に行動が読まれてしまったりして負けることもあるでしょう。その悔しさをかみしめることも大切ですし、負けた理由を分析することも大切なことだと思います。
 
 
 また、負けといっても納得のいかない負け方もあるでしょう。いわゆる「待ち」だの「ハメ」だの「ワンパターン」といわれるものです。もしくは、初心者の時、上級者にコテンパンにされることや、プレイを笑われたこともあるかもしれません。まず、世の中にそういった不条理なものがあることを知る、自分の思うようにいかないということを知ることがいい経験です。そして、そういったものにぶつかったとき、私も格闘ゲームを始めた当初、幼い頃はただ相手に怒りをぶつけるだけでした。しかし、そういった経験が募るうちに、「相手に対処できない自分が悪い」「相手のプレイスタイルを自分が決める資格は無い」「なんとしてでも相手を倒そう」「そこまで嫌な思いをするならやめればいい」と考えるようになりました。世の中の不条理なことも同様に、受け入れるか抗うかどちらかだと思います。ただ人のせいにするだけ、感情的に怒るだけでは意味が無いことはゲーセンにおける格闘ゲームの世界にも同じです。
  
 
 最後に、ゲーセンの醍醐味は知り合いを作ることにあります。当然、年上の知り合いもできることでしょうから、そこで年上の人に対する言葉遣い、態度を学びます。またゲームの攻略情報取得目的のみで近づいてくるような、不届きな輩もいるでしょうし、マナーを破り、風紀を乱す者がいるかもしれません。そういった人を目にすることでも、反面教師とすることで、社会勉強になるのです。
 
 
 要するに、ゲーセンでゲームをすることは、不特定多数の人間が集まるため、不快もまた多いのです。人は不快を乗り越えたときに、大きくなります。だからこそゲーセンに行くこと(というよりも通うこと)は社会経験になるのです。


 ゲームはいつでもやめられる自由がありますが、だからこそ、意地でも這い上がって、自分が納得できるところまでやるというのも、その人のひとつ価値になると思うのです。そういえば、韓国にはプロゲーマーという制度があるようです。ゲームがうまいことは、韓国において、日本のそれ以上に評価される傾向があるようです。なぜなら、ゲームがうまいことは、スポーツや芸術がうまいことだと同じくらいの価値があると考えられているからです。私も、優秀なプレイヤーは相手の努力と健闘をたたえ、真剣勝負が大好きというスポーツマンシップに則った人間であることが多いと思います。しかし、日本では苦労や努力が、勉強か、スポーツか、何かお金が稼げそうなことに関してしか努力が評価されない傾向があると思います。ですが、これだけゲームが普及した現在、苦労や努力の大切さをゲームで得る世代は確実に増えると思います。これだけ発展したものを否定するだけでなく、そこからどれだけプラスのものを得るかという視点の変化が求められると思います。


正直、コンシューマー(家庭用)が進化し、家に引き篭もってゲームをしてばかりで、ゲーセンでゲームをする10代が減った気がします。だからこそやはり声を大にして言いたいことは
「ゲーセンいこうよ!」
ということなのです。私も手に汗握る戦いや、達成感を目指して、結構ゲーセンに行ってますよ。