情けは人の為ならず?


なんか新カテゴリできました。
いままでのエッセーは長すぎる!っていうことでこちらではもう少し素朴なものを扱おうとするカテゴリです。


本日のお題は意外とその意味が知られていないその言葉についてです。


それは「情けは人の為ならず」です。この言葉の意味の本当の意味を知っていますか?


多くの人がしている勘違いは


情けをかけることはその人のためにならない、厳しく接することが重要だ。情けは無用である。
というものでしょう。


私はこの言葉が好きでよく使いますが、使うと「えっ?情け無用ってこと?」「それって使い方間違っているんじゃない?」とか言われて閉口します。で、問いただしてみるとやはり、「情けは無用である」という間違った意味だと捉えている人は多いです。


では、本当の意味はというと

なさけを人にかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いが来る。人に親切にしておけば、必ずよい報いがある。

広辞苑より


ということです。
なぜこの間違った意味が多く広がったかというと、参考書の出版社が間違った意味で書籍を出してしまい、それが一気に広まったらしいです。


この言葉の本当の意味を、私はこのように捉えています。


情けを掛けることは、相手のため「だけ」ではない。人は人の助けなしに生きていくことはできない。だから、人情けをかけることは最終的に自分のためにもなるものだ。だから、いざ自分が困ったときのためにも、人に情けをすすんでかけなさい。


と、捉えています。とこが、人によっては


情けをかけることは自分のためであり、自分に報いをくれるような人を選んで情けをかけるべきである。


と捕らえる人がいるかもしれません。やはり、そういった見方が出る理由は世の中の変化なのかなぁと思います。この言葉の本来の意味は「人情」とかいったものを重んじるような言葉なのですが、そういった考えを持つ人は次第に少なくなっているような気がしてなりません。


ただ、この言葉の「いつか自分にかえってくる」という部分は、自分も普段から助けてもらっているorこれからも助けてもらうという謙虚な気持ちでいるべきであり、情けをかけるときに「情けをかけてやってるんだ」という傲慢な気持ちを捨てて情けをかけなさいという意味なのです。


この言葉の正しい意味を問いただして、人にいい情けをかけたいものです。