登戸研究所に学ぶ


去る九月九日、歴史を教えてもらっていた渡辺賢二先生達(主な著書:平和のための「戦争論」 )
と有志で、登戸研究所に行ってきました。


場所は新宿から小田急線で約30分。生田駅から歩いて10分ほどにある。明治大学生田キャンパスが登戸研究所の跡地です。


ここでのポイントは、明大キャンパスに入る為に登山しなければならないということです。これは運動不足ヒッキーお断りといわんばかりに私の前に立ちふさがります。(写真撮りわすれたけど。)

同じ大学なのに駿河台校舎はエスカレーターとエレベーターで楽々ですが、まぁ生田に通う生徒は毎日登山お疲れ様です(ぉ


バカなこといっていないで、真面目にいきましょう。


登戸研究所ってなに?>
登戸研究所とは俗称であり、正確には陸軍兵器行政本部管轄の陸軍第九技術研究所といいます。研究者と限られた人間だけが入れる極秘施設です。この施設は関東軍七三一部隊・第一六四四部隊などと並んで、細菌兵器・謀略兵器の開発と諜報を担当していました。また「帝銀事件」で使われたとされる、青酸ニトリールはここで開発された可能性が高いとされています。主な開発兵器は風船爆弾(和紙を糊で貼り合わせ、風に乗せてアメリカに飛ばし、着弾したら爆発するように仕向けた兵器)毒ガス・そして偽札です。当時こうした謀略は国際法で禁止されていたため、偽札製造機などは近くの谷に埋めるなどして隠蔽されました。また、七三一部隊などと同様に、東京裁判においてはアメリカの技術提供を条件に、その罪を問われることは殆どありませんでした。


↑の参考:渡辺氏が手渡した見学のしおり
あと、こちらのHPが大変分かり易くかいており、参考にさせていただきました
http://homepage3.nifty.com/fwhj5337/9k-index.htm



これは、動物慰霊碑です。登戸研究所では、イヌ・サル・豚などが実験動物として使用されました。特に、豚は人間の肌に近いらしく、よく使われたようです。しかし、この慰霊碑は動物を慰霊するものによってはあまりにも大きいということで、実は人間を実験に使ったのでは?という説もあります。


写真は無いですが、木造の建物がいくつか並んでいる場所があります。ここで何をしていたかというと、偽札作りでした。この偽札を使い、主に中国でインフレを起こし、経済を崩壊させる作戦でした。効果もそこそこあったようです。また、兵器を買う偽札、はたまた軍人の給料もここで作られたものが支払われていたこともあるようです。当時は、この建物の前におおきな壁があり、最も極秘な建物とされていましたことも、納得のいくところでしょう。ちなみに、建物は最近まで農学部の生徒が研究に使っていたそうです。


これは、弾薬庫です。近くに防空壕もあります。このすぐ近くに送電線の終点があります。(私は始めて送電線の終点を見ました。)ちなみに、登戸研究所は爆撃を受け、長野県に疎開したこともあるようですが、それほどこの研究所の被害は大きくありませんでした。おそらく、アメリカは送電線の終点があるということで、重要施設があることは認識していましたことでしょう。ですが、戦後利用するために爆撃を控えたのではないかとも考えられます。



そして、これが登戸研究所で亡くなった人への慰霊碑です。
登戸研究所は外部から隔離された施設であり、お金の面は研究の目的さえはっきりしていれば、割と軍部がポンと出してくれたため、資金にも困りませんでした。さらに軍隊の規律も厳しくなかったと聞きます。だから、この中で恋愛をし、結ばれた人々が数多くいるとのことです。彼らは、自分たちの研究がよくないことに使われることは判っていましたが、実際に兵器を使い、人が苦しむ姿を見るのは彼らではなく、戦地の兵隊です。だから、なかなか罪悪感も沸きにくかったと思います。


登戸研究所には、日本軍にとって、日本人にとって都合が悪いものが並んでいます。しかし、私はそれをとりあげて懺悔すべきだとか反省すべきだとか言うつもりはありません。ただ、なぜ和気藹々の組織が、本来なら人の生活を豊かにするはずの科学者たちが、このような悲劇を生んでしまったのでしょうか。それについて考える必要は大いにあると思います。


一つ考える材料があります。それは、陸軍で使われていた「軍事秘密」とされていた一本の筒でした。これはろ過機です。なぜこれが兵器になるのかといえば、細菌戦で敵を殺し、自分たちが生き延びるために使われたのです。現在でもろ過機は断水や震災の際に飲み水を得るために使われております。


要は、科学とは、いえ、学問とは何のためにあるか、それで何をしたいのか、それを支える思想が大切だと思います。それによって平和の研究にもなれば、殺戮の限りを尽くすこともできるのです。ところで、スポーツの世界においては、心を鍛えるためにスポーツをするおいう精神は、比較的教わっていうるように思えます。しかし「なぜ学ぶか」この問いを考えるのは哲学的だ、堅苦しいといわれ、日本ではあまりされてこなかったように思います


例えば、英語教育は文法がわかること、単語を知っていること、そして話せることばかりが重要視されてきました。しかし、英語など単なるコミュニケーションの手段にすぎません。つまり、伝えたいものや相手から学び取りたいことがなければ単なる無用の長物なのです。たとえ英語が話せても、外国人に対して奇異の目でみたり、ナショナリズムを無駄に振りかざしたり、差別意識バリバリな「井の中の蛙」状態では、まさに本末転倒なのです。


皮肉なのか、運命なのか、登戸研究所の跡地で、明治大学理工学部農学部の生徒が同じようにバイオの分野などを勉強しています。登戸研究所の重要施設は「負の遺産」として大学の方針で残すことが決定しています。彼らも、登戸研究所跡を見ることにより、なぜ学ぶか、なぜ研究するかといったことを考えて欲しいと思います。それがOBである私の願いであります。


参考文献


続 しらべる戦争遺跡の事典

続 しらべる戦争遺跡の事典


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