若者はなぜ3年で辞めるのか〜年功序列が奪う日本の未来〜



若者は何故三年で辞めるのか。筆者が原因として挙げているものは、若者の「根性がない」「わがまま」などといった一言で片付けてはいない。筆者が原因として挙げているのはサブタイトルにある「年功序列が奪う日本の未来」である。


年功序列とは何か。それは、若いうちは過酷な労働、単調な労働にもめげず滅私奉公する。年齢が上がるにつれて技術も向上するので、それに応じて給料が増える。そして、5年後はあの課長席、10年後にはあの部長席といった、キャリアプランは会社から与えられるものであった。だから、新卒採用のときも「何でもやります!」的な学生が好まれたのである。


しかし、年功序列を維持するためには、条件がある。それは「会社が利益を出し続けること」である。そして、年功序列バブル崩壊と同時にほぼ崩壊した。だから、もう若いうちは「下積み」「黙って丁稚奉公(でっちぼうこう)するもの」だという考えも、もう古い。それに応じて、新卒採用も自分のキャリアプラン、やりたいことなどを面接で強く求められるようになった。しかし、その分自分のやりたいことと入社した後の業務にギャップが大きいと、彼らは強烈なフラストレーションを抱えることになる。「この業務は、私の求めていたものではない!!」といって、早々と退職してしまうのである。


それだけではない。年功序列が崩壊して、そのレールはすでに切れているのだから、報われるとは社長の念書でもない限り、言い切れない。つまり、下手をすると一生の間「使われ損」で終わる可能性がある。だが、外資系でもない限り、彼らの業務は激務の上、総じて給料は低い。そして、若者の「働いたけど報われない分」は年功序列の上位ランクに居る人々、すなわち老人の懐に入る。だから、若者は老人に貢いでいるのである。やはり若者は、「私は老人に貢いでいるのではない!!」といって早々と退職してしまうのである。


しかし、経済的には崩壊したのに、年功序列は社会に、人々の意識に深く根付いている。思えば、年金というシステムも「若者が老人に貢ぐ仕組み」であるし、年金システムが危ない現在、「若者にツケを回す仕組み」ともいえる。「天下り」だって、官公省の年功序列ポストからあふれた人たちが、民間の年功序列の上位ポストに移動する仕組みだ。たとえ、現在は「実力主義」と叫ばれていても、それは外資系でもない限り、「あくまで年功序列の中での実力主義」であり、結局老人が年功序列の上位ポストに居座り続ける限り、年功序列は根強く存在し、社会に不公平感、閉塞感を与えるのだ。筆者は、この年功序列が社会の根幹として存在し、支配続ける様子をまるでホッブズの「リヴァイアサン」のようだと指摘している。


この本の一番いいたいことはなにか。それは、我々の価値観がいかに年功序列を中心とした「昭和的価値観」に根付いていることとその不条理さをを説き、その価値観を一度とっぱらうことで、自分のキャリアは自分で築くものという認識を持つことが大切だということである。


そう、若者が、「やりたいことと違う!」「老人に貢いでなるものか!」という理由だけではなく、「私はこのキャリアで生きる。別の道を歩む」という「働く理由」を得る目的で退職していく人が増えていくのなら、早期退職もまた、傍から見て悲観するものではないだろう。


この書は、私が昨年読んだ中で、もっとも優れた新書であったと思う。私もどこか、キャリアプランは会社から与えられるものという意識があったようで、会社のなりふり構わないやり方に一人で失望していた。だが、この本のおかげで「キャリアは自分で築くもの」ということに気がつき、勇気が出たのだ。しかし、この本は「何故若者が3年で辞めるか」という疑問には、確かなデータで答えているとは言いがたい。(『99%は仮説』『企画書は一行』などといった、気を引きやすいタイトルが目立つ光文社新書では仕方がないことであろうが。)そこがほんの少し残念といえば残念だ。